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プァイファー社のピアノ/ Carl A.Pfeiffer Flugel und Klavierfabrik GmbH & CO.KG.


国内書籍に残された記録の紹介 Carl A.Pfeiffer Flugel und Klavierfabrik

カール・アー・プァイファー・フリューゲル・ウント・クラヴィーアファブリーク社

近頃はそのパフォーマンスを知り、他業者にも多少中古Pfeifferピアノが入っている様ですが、どの程度らしさが保たれているかは、固体別の落差があるので、わからない所です。

社名の読みは、独語に精通した方なら別ですが、そうでない場合は、やはり馴染のないアルファベットです。
和独辞書ではフの音をちいさくして『Pfei(プ
ァイ)』とされています。これもまた見慣れない表記。実際はこの『』の音はプの音に含まれるような感じですから、私達は原音に近くわかりやすい『プァイ』とカタカナで表すことにしています。


カタカナ表記がない書籍
ピアノのTonbildungについて 昭和48(1973)年

『ピアノのTonbildungについて』という和名表題が付けられているこの本、著者はヴァルターや息子のヘルムート(1921~2005)に感謝の文面を残している事から、発刊に際しては指導協力をかなり受けたと想像されます。

『Vom Hammer』Dr.Walter Pfeiffer(1886~1960年) の等の研究文を称賛し、その中から抜粋引用して解説。アルファベットの表記のみで、当時は正確な読みや発音が解りませんでした。

この本は、ピアノ構造を多少理解している事が前提。研究書の翻訳で一般読者には理解し難い本。
ピアノ演奏もし、構造も理解しているという事になると、読者はかなり限定されます。

管理人も調律業務を始めた頃に入手したので、当時は Pfeiffer なる人物について何も知りませんでしたし、勿論先輩方も同様でした。







カタカナ表記がない書籍
◎杵淵直知書簡集、昭和55(1980)年非売品

昭和54年に亡くなられた杵淵氏は、ヨーロッパの音を探求した先駆者。昭和36(1961)年3月から約1年半ドイツの専門学校で学んでいた頃、家族や友人への手紙を集めた遺稿集的なプライベート本。
没後間もなく製本。管理人は縁があり、夫人より進呈されました。氏の理解範囲に限定されますが、当時のピアノ事情が記録されていて興味深い物です。

書き手がプロ作家でもなく、監修もされていない手紙が集められている内容の為、想いは伝わって来るのですが、関係する人物を知らない読者には、話の流れしか理解できません。

同じ技術者の後輩として擁護するわけではありませんが、当時知り合った極僅かな人と語学力で、初めて行った外国の諸事情を知り得る事には限りがあり、カタカナ表記に適正でないと思われる部分も散見します。

杵淵氏は前記書籍翻訳者とも懇意で、同時期に西ドイツに滞在していた期間もあります。縁とは不思議なもので、この翻訳者と同時期ピアノ専門学校で学んだという知人がいて、ヴュルツブルクの下宿先を案内してもらった事もあります。

話は少しずれましたが、この本の中である時、文章の前後関係から気になる記述を発見。それは『有名なドクター・ハイファー云々・・・。』というくだりです。管理人はそうゆう名の研究者がいたのか、と思っていたのです。

『有名なハイファーという工場がある…。』、『ハイファーの工場は素晴らしいと思いますが・・・、ピアノは作らせないだろう。』、『ハイファー博士の工場は小さく、また素晴らしいと聞いていますが、南ドイツではハイファーとシートマイヤー位しかこれといった工場はない・。』

昭和30年代中期ですと、シュトゥットガルトはピアノシティーで、中小のピアノメーカーがあり、ここを中心にバイエルンにも幾つものピアノメーカーがありました。

ある時ふと読み直したときに、南ドイツにはハイファーという優れたピアノ工場はないが・・・?と思ったわけです。それがシートマイヤー以上のピアノ???

氏がハイファーとカタカナ表記されている素晴らしい工場とは、アルファベットで書かれていなかったので気が付かなかったのですが、それが『Pfeiffer』ではないかと気が付いたわけです。これならすべての話につじつまが合います。

近年、日本に入っている南ドイツ・シュパイヒンゲンの普及品メーカーS社を心を失ったと酷評している事に対して、ほめすぎともいえる内容。氏が実物を見たかどうかは判りませんが、おそらくピアノ専門学校の同僚から聞いた話も加味されているのではないかと思います。

その割に帰国後このピアノについて触れられていないのは、何かの事情があった様に思えますが、今となっては判らない事です。
氏の没後に工場を任されたS氏は、当方から4㎞程の所にお住まいで、何度か本の内容や杵淵ピアノの仕事内容についてお尋ねしてみた事が有ります。
『杵淵氏から南ドイツのプァイファーというピアノの話は、一度も聞いた事がありません』との事でした。




◎楽器の辞典、昭和57(1982)年

国内で公刊された物では、世界のピアノ事情について広く書かれた唯一の本ではないかと思います。外国メーカーについては、英字出版されている書籍の翻訳と思えます。
国内メーカーは、本に広告も記載されている事から、広告主に配慮したから内容の記述が中心になっています。

この本の第2章、ペダルピアノに『シュトゥットガルトのカール・ジェイ・フェイファーは・・・・』と原語表記のないカタカナでピアノメーカーが紹介されている部分があります。

実は、プァイファー社はペダルクラヴィーアを製作した歴史があり、原語表記されていない事で気がつかなかったのですが、この項で紹介されているカール・ジェイ・フェイファーなるピアノメーカーはシュトゥットガルトには存在せず、当時の社名は
J.A.Pfeifferであることから、翻訳した元の表記が違っていたか、近年の社名と混同した可能性もあります。
どちらにしても『フェイファー』という表記は、独語の原音と大分隔たりがあります。


この本では、監修者に調律関係の方も参加されています。調律師は貿易をしているわけでもなく、欧米のピアノ事情や地理・言語に精通しているという事でもないので、この一点のみならず、やはりカタカナ表記に適正でないと思われる部分が散見されます。

監修協力者はピアノ業界のそうそうたるメンバーであっても、誰一人指摘する方がいなかったという事で、その為に後の社名と混合されたような(?)名で記載されています。

スケッチは、グランドピアノに添えられた当時のペダル・クラヴィーア。オルガン曲の演奏等に用いられたと想像される物です。


プァイファー社の地下倉庫に保管されていたJ.A.Pfeiffer時代19世紀末のペダル・クラヴィーアを紹介しましょう。貴重な歴史的遺産の実物。実測していませんが200センチ程度の高さがあり、絃長に比例してかなりの音量、フェルトの貼られたモデレラトァ・レールが装備され、ハンマーは大きく大人の拳位はあります。

その他メカニック等も専用部品。管理人もペダルクラヴィーアはどこでも見たことがなく、知らない事は多いとつくづく感じ、興味深い時間でした。





プァイファー社を記載しているドイツでの出版物